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北野天満宮ずいき祭り
北野天満宮ずいき祭りは、数ある京都の秋祭りの先陣を切って10月1日から4日間にわたって行われます。「ずいき祭」の名称は、祭礼期間中御旅所に奉安される「ずいき御輿」に由来しますが、その歴史は古く、このずいき御輿を中心とした、西ノ京を始めとする氏子の祭りは、室町時代には行われていました。この祭りに、明治時代になって神幸祭(神様が氏子区域を巡行する祭)が取り入れられ、現在の形が整いますが、この神幸祭は、一度絶えてしまったものが氏子の人々の手によって復興されたものです。ずいき御輿も祭礼期間中御旅所に供えられ、10月4日の還幸祭にあわせて氏子区域を練り歩くようになりました。ずいき祭では4日間にいくつかの祭典がおこなわれますが、中でも10月4日の還幸祭は特別の意味を持ちます。
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ずいき神輿の始まり
北野天満宮のお祭りは村上天皇の時代(946年ー967年)に始まったそうです。このお祭りに天満宮に所属する神人(じんにん・じにん)と呼ばれる人たちが自ら作った野菜や果物・穀物などに草花を挿してお供えして収穫を感謝したことから、このお祭りを瑞饋祭(ずいきまつり)というようになりました。このお供えの行事は永く続き、応仁の乱でしばらく途絶えた後、大永7年(1527年)からは一つの台に盛り飾り、鳳、輦、また野菜などの材料で人物や動物の形を作って、全体に2本の丸太を添えて担うようにしました。これがずいき神輿の原型でしょう。 江戸時代に入って世の中が落ち着いた慶長12年(1607年)、神人と周辺農家の協力による葱華輦(そうかれん)型の本格的なずいき神輿作りが始まります。瑞饋(ずいき)の名に合わせて、サトイモの葉柄・ずいきを並べて屋根を葺き、各種の供え物や作り物で飾った神輿を作り上げ、これを担いで西の京各町を巡行しました。ずいき神輿の形は元禄15年(1702年)に鳳輦(ほうれん)型に変わり、さらに亨和2年(1802年)に千木(ちぎ)型に変わっています。明治に入ってずいき神輿は一時中絶しましたが、明治23年(1890年)に復活、現在まで続いています。
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 赤ズイキの茎
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